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「データや情報は点ではなく線や面で見る」と「数字は作るもの」

本稿の主張

2つあります。

1つは、データや情報を点ではなく線や面で見るということは、時代問わず、基本的な情報リテラシーであるということ。

もう1つは、そのデータや情報に含まれる「数字」には作られたものも多々あるということ。語弊を恐れずに言えば数字は作るもの。

 

データや情報を「点」で見るということ

私たちは毎日データと情報にまみれて生活しています。
テレビ/インターネット/新聞/といったメディアから、仕事の資料、友人知人との会話などなど。
テレビの視聴率、アンケート結果、売上高などのビジネス指標といった数値データに始まり、その数値に基づく主張も。

 
でも、その「データ」や「情報」は、全体の一部だけを切り取ったもの=「点」かもしれません。
かつ、その情報を発信した人や企業の解釈が加わっていたり、偏見(バイアス)がかかったものかもしれません。
切り取られ変色した点
元の情報は「全体が青のもの」だったが、Bさんが受け取った時は「全体のうちの一部、かつ、途中で緑に変色したもの」だったが為に、「緑とは素晴らしい!」「緑とはなんだ!けしからん!」となってしまったのかもしれません。

 
 
点で見るということ
私たちは日々「切り取られ、変色した点」だけを見て、何かを思い、何かを発言しているのかもしれないということです。

 
 

データや情報を「線」や「面」で見るということ

では、それでいいんでしたっけ?と。

 
すべてを、とはさすがに言いませんが(物理的にそんな暇は無いので)、少なくとも、自分に関わるような大事なことや、興味のあることに関しては、変色した点ではなく、一次ソースを確認し、かつ、線や面でも見るべきだと思っています。

線や面で見るということ

 
「線で見る」ということは、「時間軸上でその情報と同じ線に乗っている情報と併せて見る」ということです。
例えば人種差別や戦争など、歴史的背景があっての今日その出来事があった、という見方ができるのとそうでないのとでは、思うところの方向も量も質も違ってきます。

 
「面で見る」ということは、「直接的ではないが間接的にその情報に関わる情報と併せて見る」ということです。
例えば日本はどんどん少子高齢化が進んでいますが、他の国はどうなんだろう?と調べてみて、似ている国、異なる国の共通項を整理してみたり、といった感じです。(医療が進んでるなー、とか、政策が、とか)

 
「大事なことや興味のあることについて、点だけでなく、線や面でも見ることができる」という能力は、時代問わず、身に付けておきたい基本的な情報リテラシーであると思っています。

 
(いや、線や面だけじゃなくて、立体的にも見るべきだ!という声が聞こえてきそうですが、立体的も含め、時間軸×縦横高さの周辺情報を)

 
 

データと情報

ここで一旦「データ」と「情報」の
(1)定義
(2)見方
(3)一次ソースか否か
について触れたいと思います。

いつ誰が

 
(1)定義
データとは、単体では意味を発しないもの。無味乾燥。例)36.9
情報とは、データに意味付けがされ、単体で意味を発するもの。例)私の平熱は36.9度 or 熊谷で36.9度を記録。

 
(2)見方
・いつ。例)去年か昨日か
・誰が。例)友人知人、著名人、知らない人、官公庁、東⚫︎ポ
が発したものか=データや情報を見る時の最小セット

 
例)次回の新型iPhoneにFeliCa(おサイフケータイ機能)が搭載されると、Bloombergが報じました。

 
例えば上記の情報だけだと、これがAppleの正式発表前のものなのか、発表後のものなのかが分かりません。
しかも、前のものだった場合、この情報はiPhone5や6の発売前も噂記事が出ていたと思うので、今年のものではなく去年や一昨年のものである可能性もあります。

 
以前、ちきりんさんがブログでこんなことを言っていました。

 

ちきりんがブログを書こうと思った4年前、いくつかのブログサービスを比較し、どこで書こうか考えたのですが、その時“はてな”に決めた理由は、「画面デザインのシンプルさ」と「日付」でした。
私の文章は長いので、できるだけシンプルな見た目がいいと思い、あちこち比べてみたのですが、“はてな”は他より圧倒的に読みやすいと思えました。
そして、もうひとつ、ちきりんにとってとても大事だったのが、「日付がURLに入っていて、画面でも見やすい場所にある」ことでした。
ちきりんは資料を読む時、まず「日付」を見ます。これはもう癖みたいなもんです。仕事の資料はもちろん、新聞や雑誌、新書や小説などの本を読む時(買う時)にも、まずは「いつが初版なの?」というのを確認します。
だって情報ってのは時代背景とセットで初めて意味をもつわけで。

引用元URL: http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090820

 
私は仕事柄日々データを見るため、「いつ」「何があった」というのと併せてデータを見るのが習慣付いていて、SNSや人から聞いた話も、「いつ」の話なのかをつい確認してしまうクセがあります。

 
ビックリするような話は特に「本当に?(疑」から入ってしまうので、人の話を信用していない嫌なやつだと思われます。
逆に、信頼している人からの情報は盲目的に信じてしまう時もあるので気を付けなければと思ってます。

 
ということもあって、発信日時が書いていない情報源は使用しません。
信じるか信じないかはあなた次第です、くらいには使いますが。
ウェブサイトだと、残念ながらもうそこの記事は読みません。
それぐらい発信日時は大事です。

 
 
(3)一次ソースか否か
「その情報源が、そのデータや情報を最初に発したところか否か」ということです。
池に石を投げ込んだ時に、石の落ちたところです。
その落ちたところから離れれば離れるほど、波紋のように一次情報から遠ざかっていくイメージです。

 
「学生時代の友人が結婚した」という情報を本人から聞いたのであればそれは一次ソースですが、本人の兄弟の友達の友達から聞いたとなれば、間に何人か入っているので一次ソースではないです。

 
一次ソースを確認する理由は、情報の「確からしさ」を確認するためです。確かな情報なのか。いつ、誰が言ったことなんだ、と。
ただ、一次ソースだからといって正しいとは限りません。
一次ソースが嘘デマカセを発し、それがあたかも本当かのように一気に広まる、といったことがよくSNSで起こってました、起こってます。(Twitterが流行りだした当初はよく起こってたように記憶してます)
※「なにをもって一次ソースとするか」の定義や解釈は分かれるところですが、いずれにせよ「確からしさ(信ぴょう性)」の程度を確認できれば良いと思っています。

 
 

数字について

情報の中にはよく「数字」が使われています。
数字あっての情報、もたくさんありますよね。

 
「数字」は表現として分かりやすく、インパクトも出せるため、多用されます。
では、その数字の出処(でどころ)は?と。
自然なもの?不自然=作られたもの?
定義は?条件は?

数字について

 
ここでいう不自然=「作られた」の意味は、数字が発生する「前から」「意図的に」その数字になるように仕組まれていたものや、数字が発生した「後から」「意図的に」その数字になるように操作したような場合を指します。

 
例えば、自分の年齢は前にも後にも「意図的に」変えられないので、そういう意味では自然な数字と言えます。(変えたら嘘つきとか詐称というやつです)

 
一方で、例えば、過去最高益を出せたにも関わらずあえて出さなかった企業の例。

伊藤忠社長:最高益達成を直前に「苦渋の決断」-損失1250億円を計上
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-05-06/O6QVIQ6KLVR401

 
以下、本文より一部引用。

岡藤氏は「3月20日過ぎまでは当初の3300億円は秒読みだった」と明かした。ところがその後、三井物産や三菱商事が大規模な減損損失を計上するとして、ともに最終赤字に陥る見通しだと発表。「皆が試合を放棄する中で1人だけ気を吐いて汗をかいてゴールするのがいいのか、いろいろな意見があった」という。
  一方で「伊藤忠は今まで必ず予算を達成してきた」との思いもあった。出した答えは「今期以降を考え、あくまで数字よりは順位。そこで急きょ落とせるものは落とし、われわれは今期に勝負をかける」として懸案事項だった損失計上を前倒しで処理したという。

 
「大規模な損失計上を前倒しで処理した」ということで、数字は「作られたもの」と言えるかと思います。
※これが良い悪いという話をしたいわけではありません。あくまで「作られた数字」の一例として。

 
この他にも、例えば「若者の◯◯離れ」や「主婦の間で◯◯が流行っている」などのアンケート結果をもとにしたニュースを目にすることがあると思いますが、アンケートを実施した「実施主体」を筆頭に、アンケートに答えてくれた「対象」「人数」「性別年齢」「質問内容」「日時」「手法」などなど、
調べられる範囲で調べてみたりすると、「あー、なるほど」となったりすることがあります。

 
7月くらいに「BBQ好き主婦」という特集を出したいが為に、東京は港区の主婦100人にアンケートを取って、8割以上が年に何回もBBQをするとか、便利グッズを持ってるとか、「予め得たいアンケート結果」から逆算して作成したアンケート項目でバッチリGETした結果を使います。
アンケート主体はリサーチ会社となっていても、実際はBBQサービス事業者がお金を払って実施したものであったりすると、それは完全に作られた数字であって、夏秋に向けて「BBQしたい感」を作っておきたい、という為に行われたものです。
※繰り返しますが、別にこれが良いとか悪いとか言いたいわけではありません。

 
なので、「数字」はきちんと「出処」「定義」「計算式」「条件」などを確認することが大切です。
間違っても鵜呑みにしない。

 
(余談:母数がやたら少ない、%を%に直す、絶対値と相対値、恣意的なグラフで印象操作、みたいなことにも気を付けたいです。
あと、ツールで取得したデータは、ツールのデータ取得の仕組みを理解することも大切ですよね。どういう仕組みで取得したか、が分かれば対応しやすいので。逆に仕組みが分からない、や、怪しいものは、信ぴょう性に欠けるので使わない。
自分がある程度理解し、「確からしい」と思い、他人にきちんと説明できないものは使わない)

 
 

数字を作るということ

上記のように「作られた数字」というものはたくさんあるわけですが、「作る」のには理由があるわけですよね。
なので、「いつ」「誰が?」「何のために?」その数字を作ったの?ということを考えるクセをつけると(人間不信みたいですが)良いです。

何のために

目的は?
・誰を?
・どのようにしたい?

・上司や部下、ビジネスにおいて利害関係にある相手に
・友人に
・Loveな人に
・消費者に

・良く見せたい?(評価、承認欲求)
・潜在欲求やニーズを醸成したい?(マーケティング)

 
本来の目的を忘れ「数字を作ること」が目的になってしまうのは本末転倒で、そうなるとたいていのことは残念な結果に終わってしまうので、ゼッタイ本来の目的を忘れないこと。
目的あっての「数字を作る」という手段です。

 
(余談:広告だってアクセス解析だってクリエイティブだってすべて手段の1つでしかなく、その先に目的があるわけで。私含め、多くの人はその手段の1つを尖らせて磨いてプロとして費用をいただきご飯を食べているわけで)

 
 

まとめ

まとめ

 
幼稚園児くらいのちびっ子はよく「なんで?なんで?」「ほんとに?」「どうして?」みたいなことを連呼してると思います。
今まで見たことも聞いたことも無かったり、経験したことが無かったりするので、イメージが無く=未知のものがどんなものなのか、なんでそうなるのか、好奇心旺盛、興味津々でいろいろ知りたいんですよね。

 
大人になるとたいていのことは見聞きしたり経験するので、だいたいイメージがつき、ちょっと驚くようなニュースにも慣れてしまい、入ってきた情報に疑いを持たなくなってしまいがちです。

 
なので、気になった情報が入ってきた時は一旦頭のなかの情報の流れを止めて、「それってホント?」「いつ、誰が言ったことなの?」と、その情報をよーく見てみて、5~10分インターネットで検索してみてください。
日本のメディアが報じていること、海外のメディアが報じていること、専門家の見解、総務省等の第三者機関のデータ、などなど、様々な側面から見てみることで、その「気になった情報」が全然違って見えてくるかもしれません。
怪しいと思ったら、ちょっとでも違和感を感じたら、とにかく実際に自分の目で見て、耳で聞いて、確かめるクセを。

 
【主張(再掲)】
(1)データや情報を点ではなく線や面で見るということは、時代問わず、基本的な情報リテラシーであるということ。
(2)そのデータや情報に含まれる「数字」には作られたものも多々あるということ。語弊を恐れずに言えば数字は作るもの。

 
 
冒頭の写真出典:「0483 Numbers」by Mark Morgan, on Flickr
 
 

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